【カンボジアの歴史】ポル・ポトとクメールルージュ【観光する前に知りたい】

歴史

トゥールスレンやキリングフィールドってポル・ポト派によって生まれたんだよね…。これまであまりポル・ポトやクメールルージュについて知らなかったから教えてほしい!

今回は、ポル・ポトやクメールルージュはそもそもどんな存在だったのか、また彼らが生まれた背景について探っていくよ。

そもそも、ポルポト派って何?

そもそもポル・ポトとかクメールルージュについてあまりよくわからないという人のために、今からカンボジア内戦のきっかけとなったポル・ポトとクメールルージュについて説明していくよ。

 

独裁者ポル・ポトとクメールルージュの台頭

カンボジア内戦の元凶とも言われるポル・ポトは一体どんな少年時代を送っていたんだろう?

一説によると、ポルポトは割と裕福な家庭の中で育ったと言われていてフランスにまで留学に行ったこともあるんだ。

 

そのフランス留学中に「共産主義」と呼ばれる思想に出会い、共産主義活動をはじめた。

のちにクメールルージュのリーダー格となるイエン・サリやキュー・サムファンともここで出会ったと言われているよ。

ポル・ポトは奨学金を受けながら留学していたんだけど、試験に何回か失敗して奨学金を打ち切られカンボジアに帰国した。

 

帰国してからポル・ポトは地下活動を行った。

もちろん、はじめは支持者がわずかだったけれど、ロン・ノル政権に汚職が蔓延してたり、アメリカがカンボジアに爆撃をはじめたりしてから一気に支持者が増えた。

 

なぜアメリカがカンボジアに爆撃したかって?

その当時は、ちょうどベトナム戦争の真っただ中だったんだ。

南ベトナム解放民族戦線(簡単に言えばアメリカの敵)がカンボジアにも拠点を作り始めていたからアメリカはそこを叩こうとしたんだよね。

それでカンボジアにも爆撃を行ったんだ。

 

ベトナム戦争が終わってからも、アメリカとつながっていたのではないかと目されていたロン・ノル政権はカンボジア国内から大いに非難され、これに乗じたクメールルージュがクーデターを起こし、ついに1975年に政権を奪取したんだ。

ここから、ヘン・サムリンがベトナム軍と一緒になって政権を奪取するまでの4年間がいわゆる「ポル・ポト時代」と呼ばれる悲劇だよ。

 

彼らの理想の世界―お金も、学校も、病院さえも存在しない世界

彼らが目指した世界、それは「原始共産主義」とも呼ばれている。

原始共産主義って?

 

原始共産主義とは、簡単に言うと「狩りをして生きていたころ」の世界を復活させることなんだ。

日本でいうところの縄文時代みたいな世界か!

 

そう、そんな感じ。

そのような世界だったら、政治家や社長のような「お偉いさん」や「お金持ち」が生まれないからね。

 

ポル・ポトたちは、「完全に平等な世界」を実現するために本当に色んな人々を処刑した。

元々お金を持っていた家族は全員処刑した。「平等な社会に」お金持ちはいらなかった。

また、「お金持ち」になりそうな人、つまり知識が豊富にある人(お医者さんや先生とか)も処刑した。知識がある人たちは政権批判をするかもしれない。

 

カンボジアに住んでいた外国人(特にベトナムの人や中華系の人が多かった)も処刑した。外国に今のカンボジアの様子が知られては困るから。

病気がある人や障害を持っている人も処刑した。革命に病人や障碍者はふさわしくなかった。

肌が白い人も処刑した。メガネをかけている人も処刑した…。

 

代わりに重役を担ったのが子どもたち。

彼らは「革命以前の思想」に染まっていないから。

10歳かそこらの子どもたちが手術したりするわけだ…。

 

地獄だよね。

 

ポル・ポトやクメールルージュが生まれた背景

じゃあなんでポル・ポトやクメールルージュが生まれたんだろう?

理由は二つあると思うんだ。

今からそれを考えていくよ。

 

理由1:帝国主義への反発

やはり、アメリカの爆撃はポル・ポトの支持率を上げるのに十分すぎる理由だと思う。

だれだって自分たちの土地が爆撃されて良い気持ちはしないもんね。

 

あと、フランスに留学したクメールルージュの幹部たちが共産主義に傾倒していったのもこの反帝国主義にあったと思う。

ここまではいいんだけど、「自国のために何ができるか?」と考えた結果、「原始共産主義」という悪い方向に進んでしまったんだね…。

 

理由2:国内の大きな格差

もうひとつ、国内に大きな格差があったことも大きな原因になっていると思う。

 

圧倒的に豊かな層がいたんだよね。

当時は政治家や教師がそうだった。

今のカンボジアは教師はそうでもないから意外かと思うんだけど、当時はシハヌーク国王が教育者(特に高等教育)を優遇したんだよね。(その後、ロン・ノル政権によって当時の教育政策の批判を受けている)

 

それがいきすぎてしまって一部の国民はポル・ポト派に傾いたんじゃないかとも言われているよ。

 

まとめ

「ポル・ポトは残虐な人間だったからこんな悲劇が起こってしまった」と言われることもあるけれど、ベトナム戦争や格差問題といったもっと複雑な背景があった。

大事なことはそれを風化させず、注視していくことなんじゃないかと思っているよ。