
大学では、哲学を勉強してみたいんだけど、雰囲気ってどんな感じなの?

哲学科ってけっこう人によって合う合わないがあると思う。今回は、哲学科だったぼくが哲学科の雰囲気を少しでも伝えられたらいいなって思っているよ。
地獄へようこそ。Twitterで #哲学科あるある
みんなはTwitterで #哲学科あるある で検索したことはあるかな?
「こんなの嘘だろ…。」って思うかもしれないけど、誇張ではなくて、実際けっこうあるあるだったりするのもある。
定義がちょっとでも曖昧になってこないように途中で引用入れちゃうんだよ
「面白い」とか「好き」とか一言で言えばいいことを、各種引用を駆使して長々と説明する。 #哲学科あるある
— 某月 亡日 (@sakemubi) 2011年8月2日
だって、「好き」とか「面白い」だと定義があいまいすぎるよね?
たとえば、近代言語学の父と呼ばれるソシュールは、好きという言葉を「シニフィアン」とし、好きという言葉から連想できるイメージを「シニフィエ」としてさらにそれらを合体したものを「記号」と呼んだわけだけれども、そもそもこの場合…(以下略)。
哲学の議論というものは遡及的なものだ(キリッ)
三人寄れば文殊の知恵という言葉も嘘である!哲学科が3人寄れば議論は一切進まないどころか戻ってゆく! #哲学科あるある
— ぶたハム君 (@butaham) 2011年7月29日
たとえば、哲学科同士で恋バナするとこんなことになります。

ところでさ、デモクリトスちゃんは好きな人いるの?

そもそもこの場合でいう「好き」とか「好きな人」ってなんなの?友達だって家族だって「好きな人」に含まれているよね?言い方を変えればともに「愛する人」だよね?なんか恋愛っていう文脈の中で語られている「愛」とほかの「愛」では定義が違う感じがするんだけど…。なんでこうなってしまったの?

うーん、確かになあ…。たとえばエーリッヒ・フロムなんかは愛の本質というのは…(以下略)。
こんな感じで、「好きな人いるの?」という一般的な質問から「愛とは何か?」という根本的な問いに戻ってしまうんだ。
これは、哲学における考え方が前の段階へと戻っていく思考法をとっているからなんだよ。
詳しくは過去のこの記事を見てみてね。

Q.E.D. 証明完了
たまたま見つけたネット記事に「哲学科の人が就活で自己分析について『 自己分析には分析する自分と分析される自分がいるからそもそも自己分析は成り立たない』って言って人事の人が『 もっと適当でいいです』と言った」っていう話が笑い話として載ってた。
…え、違うの?#哲学科あるある
— くまもん@カンボジア🇰🇭 (@TEx6527) 2016年3月21日
ところで、分析する自分と分析される自分って一緒なのかな?
自分はどうしたって分析する自分にしかなれないし…。
主体と客体は同一になりえないって誰かも言ってたような…。
まとめ

哲学科は学ぶ内容もさることながら、学科全体が個性豊かなので面白い人にとってはとても面白いところだよ!