【行き方も解説】プノンペンの郊外にあるキリングフィールドで祈りを。

歴史

 

クマエちゃん
クマエちゃん

キリングフィールドって今は観光地になっているけど、昔ここは処刑場だったんだよね…。

ヴェーハー・K・タツヤ
ヴェーハー・K・タツヤ

そうなんだよ。今回はキリングフィールドにまつわる歴史を見ていくことにするよ。

 

キリングフィールドの歴史と背景

キリングフィールドが処刑場っていうのはなんとなく知ってるけど、具体的な背景はよくわからない…。

そんな人のために、まずはキリングフィールドにまつわる歴史を簡単に追っていくことにするよ。

 

1975年から1979年の間、カンボジアはポルポトという政治家を中心とする、クメールルージュという政党が実権を握っていた。

クメールルージュは、人間が猟をしながら生活をしていた時代の社会に戻そうとする「原始共産主義」の実現を目指していたんだ。

めっちゃ無謀じゃんって思うよね。

 

クメールルージュは、原始共産体制の社会を実現するために、「その計画は無謀である」って考えられるような頭のいい人はすべて抹殺しようとしたんだ。

学者、医者、教師…。

クメールルージュはそういった「知識層」と呼ばれる人々を見つけては一家全員処刑した。

彼らの処刑は、はじめトゥールスレンの敷地内で行っていたんだけど、途中から周りに処刑される人々の断末魔が漏れることをおそれて、「チュンエク」というプノンペンの住宅地からかなり離れた場所で処刑するようになった。

 

そこが、今観光地にもなっているチュンエクの「キリングフィールド」なんだ。

 

今のキリングフィールドには何があるのか?

この写真は、キリングフィールドの中心にある慰霊塔だよ。

慰霊塔は中にも入れる。

慰霊塔の中には、キリングフィールドで命を落とした方々の遺骨が納められているんだ。

 

キリングフィールドは一見するとただの原っぱ。

だけど、地面をよく見てみると、処刑された人が着ていたと思われる衣類が、土を被って落ちていたりする。

 

キリングフィールドには大きなヤシの木が生えている。

南国の情緒を醸し出すヤシの木だけど、当時はこれすらも処刑の道具になってしまった。

銃弾は高かったから、泣き叫ぶ人を、ヤシの木のギザギザした枝で首を切り落とした。

また、赤ちゃんの頭を固いヤシの木に打ち付けて処刑したりもしていたよ。

 

キリングフィールドへの行き方

キリングフィールドはプノンペン市内からは結構距離があってトゥクトゥクで一時間近くかかる。

トゥクトゥクドライバ―に「チョン・タウ・キリングフィールド(キリングフィールドに行きたい)」と言えば連れていってくれるよ。

トゥクトゥクはアプリを使おう!

アプリがなかったころ、トゥクトゥクは片道だけで10ドルくらいとられた思い出がある…。

アプリを使うと多分半額くらいで行けるはず!

 

 

 

決して明るい気分になれる場所ではないけれど、一度はぜひキリングフィールドで、平和の祈りを。