「最近LGBTを優遇しすぎ!」と思う人に読んでほしい哲学のお話

哲学

「最近LGBTを優遇しすぎじゃないか!?」

そう内心思っている人もいるんじゃないかな。

 

ちなみに、このLGBTの部分には、いろんな単語を当てはめることができる。

「○○人」といった国籍や人種もそう。「障害者」なんかもそうかな。

 

これらに共通しているのは社会的に「マイノリティ」と呼ばれているような人たちだ。

 

ではここで、一つの問いを立てよう。

「数が少ない」と思われている人たちは、社会から排除してもいいのか?

 

もちろん、感情的、もしくは社会的なルールから「そんなのダメだ」って言うことは簡単だけど、今回は「もっとも多くの人に利益がもたらされることがもっとも幸福につながることだ」と考える功利主義の話から、この問いを考えることにしよう。

 

頭の中で実験タイム

トロッコ問題から見る功利主義

 


あるとき、きみはトロッコに乗っていたが、そのトロッコが急にブレーキが効かなくなって止まらなくなってしまった。

さらに不幸なことに、目の前を見ると5人の子どもたちが遊んでいる。

このままだと、子どもたちが死んでしまう!

 

…ふと隣を見ると、とても太った男の人が座っていた。

彼をつきとばせば、トロッコは止まる。

 

きみは、その人をつき落としてトロッコを止める?


以上は、有名な思考実験(頭の中だけでおこなう実験)なんだけど、きみは隣の人をつき落としてトロッコを止めるかな?

 

ここで、「実際には突き落さないかもしれないけど、少なくとも突き落としたほうがより全体にとっていい」と考える立場を「功利主義」と呼ぶ。

 

(古典的な)功利主義においては、幸せの量が最大である選択が正しい。

だから、このトロッコ問題では功利主義者はこう考える。

 

「もし突き落とさなかったら我々はどうなるかわからないけれど、もし突き落とせばもしかしたら一つの不幸で済むかもしれない。」

 

漂流した家族から見る功利主義

考えやすくするために、もう一つ別の例もあげよう。


きみときみの家族は、休みの日に海の上でバカンスを楽しんでいた。

だけど、天気が急変し小さな船はどんどん流されてしまった。

コンパスは壊れ、ここがどこかわからない。

最初は残った食糧や水を分け合ったりしながらしのいでいたけどそれももう限界に近い。

 

体の弱い弟はすでにひん死の状態だった。

…ここで、弟がいなくなれば一人ぶんの食糧が節約できる。

 

家族はそっと彼の首にカミソリを当てた。


 

これもさっきのトロッコと同じで、(古典的な)功利主義者の場合、「弟がいなくなれば、全体が生き延びる可能性があがる」と考えれば弟の存在を消してしまうんだ。

 

功利主義が持つ矛盾

功利主義の議論を見たところで、最初の問いに戻ろう。

「数が少ない」と思われている人たちは、社会から排除してもいいのか?

 

これだね。

功利主義に対しての批判に、「功利主義は全体から見える量しか考慮にいれないから、一人一人が持つストーリーに目を向けられない」というものがある。

 

たとえば、突き落された男の人には帰りを待つ家族がいたかもしれない。

弟は医者で多くの人の命を救っていたかもしれない。

 

もし、そのような場合は功利主義的にも突き落したり存在を消したりする行為が否定される。(医者で多くの命を救っていたらそちらのほうがより失う幸福の量が多いため)

 

だけど、功利主義者はそのようなストーリーを考えることができないんだ。

 

これって、矛盾じゃない?